毎日、たんたん。
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これは「今」じゃなかった
映画終わる。
期待が大きすぎたかなぁ?少しガッカリ感があった。

いや、多分学生の頃見たら、胸をクゥーっと締めあげられる感じがするくらい、物語に入れただろうという確信があるから、たまたま私にとって「今」見るタイミングじゃなかったんだろうな。

だってひたすら、ユリさんと親子ほどの年齢差夫・猪熊さんとの、日常的な営みに見る愛の距離感の方に惚れ惚れしてしまったもの。(そういう意味じゃ、みるめとユリさんだって、20歳の歳の差があるんだけれど、その差と、猪熊さんとの差は全然違うものだ)
ドテラに、信玄餅、救急箱から当たり前に絆創膏。

途中、あ、明日の朝ご飯用のパンと牛乳がない、帰りどこで買おう?途中下車するより、地元に帰った方が確実かな?それにベーコンもソーセージも卵もないや、なんて、つまらないことを思い出してしまい、集中できなかったよ。

先日、「明るい月’s」の方々と話していた時、タイトルがどうしても思い出せなかった映画「ぐるりのこと」とどちらを観に行くか悩んだのだけれど、「人セク」は今週一杯だったから、こちらを優先したけれど、今は「ぐるり〜」の方がよかったかも。



JUGEMテーマ:映画


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21:10 観る目を育てる comments(5)
連呼するおかしさ
というわけで、やっぱり映画に来ました。
「松山ケンイチ特集 人のセックスを笑うな@ポレポレ東中野
チケットを買うのに、「○時の回」と言えばいいのに、女子大生までみんな素直に「人のセックスを笑うなを大人一般2枚」と云うから、何だか可笑しい。
JUGEMテーマ:映画


17:56 観る目を育てる comments(2)
ぼーっとする
NHKの「ようこそ 先輩!課外授業」って番組は、時々見てしまう番組。
今日、昼間にやっていたのは僧侶であり、庭の設計士でもある方の話。
子どもたちに課したテーマは「ぼーっとすること」
学校の周り、一番落ち着く場所で「ボーっ」としたことをスケッチブックにメモして、最後に盆景としてそれを表現するというもの。

でも、現代の子どもたちはなかなかぼーっとできない。
すぐにスケッチを始めたりしてしまい、「先輩」先生にもっときちんとぼーっとしないさい、と云われる始末。

先生は云う。とにかく感じなさい、言葉で表現するのは一番最後、先生に伝えられればいいので、それまではとにかく自分の体で感じなさい、と。
これは、多忙な子どもじゃなくても難しいぞ。

こうしてブログを書いていると、どこに行っても、何を食べても、いろんなものを見たり聴いたりしても、どっかで「どうやって書こうかな?」とか「この風景、写真に撮れば使えるかも!」とか思っちゃう。
特に、初めての観光地に行くと必死に行こうと思ったところを目指して歩いてしまう。
かと思えば、日々、ちょっとでもぼーっとしようとすると、すぐ居眠りに入ってしまう。通勤中は、立ったまま外の風景の移り変わりを見よう、見よ、見…としようと思ったら、そのまま立ち寝。座って、本を開くとコトンスーッと。

ちゃーんとぼーっとするって難しい。してないかもなー、この頃。
子どもの頃、お布団に入ってから、30分くらい天井を見ながら、なんとなく夢の物語を作ってみたりして、ぼーっとしながら寝たもんだけれど、最近じゃ、布団にどう入ったかもわからないくらい、メガネをかけたままだったりの状態で寝ちゃうくらい、眠りに入るまで「暇」がない。

3連休最終日、とかなんとか云いながら、大雨の中映画でも観に行こうかな?と目論んでしまう私。ぼーっとするより、生活のリズムをちゃんとせい!という感じだわ。
13:48 日々、雑感 comments(0)
乱打!乱打!
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マックをメロメロにする兄が来た昨晩から、甘ったれモード全開!
窓を叩く叩く。
11:35 マックはビーグル comments(0)
AFRIKA for PS3、ついにその全貌を現す!
JUGEMテーマ:ゲーム


兄とその友だちで経営している会社「RHINO studios」で製作したゲーム、ついに、ついに発売日が決まりました。

AFRIKA
RELEASE ON 2008.8.28!!!


どういったゲームかと云えば、プレイヤーはフォトライターだという設定。クライアントからのオーダーに沿って、アフリカという大地で、地上から、空から、水の中から、動物たちの撮影をしたりする、という内容。広大なアフリカの大地で、心の赴くまま、砂に塗れて動物たちの姿を追うという、新しいゲームジャンル「サファリ」の先駆的なゲームです。

その全貌を見るには、こちらのSony Computer EntertainmentAFRIKA特設ページをご覧下さい!

身内の話で恥ずかしい限りですけど、このゲーム、すごいと思います。
今までの敵を倒すことのみの格闘ゲームと全く異なるし、ロープレとも違う、全く新しいジャンルです。
21:25 日々、雑感 comments(0)
ベーグルとコーヒーを持って
昨日は、黄色い鳥器店で25日から始まった「小田島千晶 あつめたもの展」@GARAGEを訪れた。
焼いたばかりのベーグルと淹れたてのコーヒー、それと、小田島さんに本を一冊持って。

うす灰色の店内にちんまり、お月さま店主がいらした。
これが小田島さんが集めたものたちかぁ、これから扱っていきたいと思っているものなのあかぁ。あちこちの骨董市で見つけた佇まいの柔らかな器や、西荻窪の「魯山」の店主大嶌さんが作られた鉄の作品や、植木友紀子さんという古い布を使って鞄を作る人の作品がならぶ。
大人の空間だなー、と思う。
器は使ってなんぼ、の考えでいる私は、骨董という商品をどう扱っていいのかわからない。誰かが使ってきたんだろうなー、と思うと、「お古」「古着」とかを許さなかった母の躾の下で育った私としては、まずちょっと躊躇してしまうこともあり、また、そういった歴史的な価値を持ったものを、普段遣いに使っていけないのだろうなー、と思ってしまったり。
ちょっといいなーと思った、蕎麦などを打つ時に使う、木製の鉢は眼の前で別の人に変われて行ってしまった。骨董は「いい!」と思ったら即買いなんだな…。丸い座面に脚4本の椅子はフォルムとして大好きなんだけれど、なにぶん家族は父と2人で、こんなに狭い家に椅子ばかり増やせず、結局買いあぐねてしまった。
まだまだ骨董に手を出すには、お子ちゃまです、わたしは。
お月さまとゆっくり話もしたかったけれど、どんどん骨董好きそうなかっこいいおじさまや、近所のアンティークショップの店員さんや、ナイスマダムな奥様などがいらして、狭い店内は人で溢れてしまった。
仕方なく、隣の黄トリさんへ行き、お日さま店主さんとお話をしていると、まんげつさん登場。ここは日月月、と月が2人いる。「明るい月」、と読むべきでしょう。
まんげつさんは溢れる元気を振りまきながら、これから銀座へ向かうと云う。ガラガラ引いているキャリーは銀座には合わない、と云って置いて行くらしいけれど、その金魚柄のアロハと、半ズボンならよいと思いますよ、わたし的には。そんなまんげつさんとお友だちさんをお見送りする頃、3時近くなると、こちらのお店もたくさんのお客さまがお見えになり、とりあえず私は退散、夜4人でごはんを食べる約束をして帰宅。

夜、国立のソーセージ屋「ノイ・フランク」で待ち合わせ。
ソーセージやら、ザワークラウトやら、カレーやら。テーブル満杯。
全員おしゃべりだから、口は食べたり、しゃべったり、わらったり、大忙し。
でも、不思議だよなー、黄トリさんのお2人と出会ったのが1年前、まんげつさんに至っては2ヶ月前にお逢いしたばかり。それなのに、こうして、テーブルを囲んで、ガハハハと笑いながら、ジョッキをガッチンコとぶつけて盛り上がってるのだから。
お日さまが仰ってくれた「逢うべくして、逢えたんだよ」という言葉が、本当に嬉しい。
ここのところ、素敵な夜続きで、熱に浮かされたような毎日です。クラクラです。

今晩は、兄夫婦が久しぶりに来るようなので、これから掃除やらごはんの買い出しに出掛けます。

13:58 日々、雑感 comments(0)
華麗なる宴
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スッキリした気持ちで職場を出て、お日さまご夫妻と待ち合わせをして、向かうはM先生とSさんご夫妻宅。
愛情たっぷりに育てられてるのが、一発でわかる穏やかな顔をした猫が3匹迎えてくれた。動物は「育ち」が毛艶と顔の表情に出る。

M&S夫妻はイベントの折にお会いしたことはあったけれど、ちゃんとご挨拶するのは初めて。かっこいいんだよね〜、お2人共。
調度品がどれも雰囲気がよく、とってつけたようなお洒落じゃなく、和洋折衷のものが、自然にすんなり落ち着いている。大きな木のテーブルが、部屋の主のようにドーンと存在感があって、すごくいい。

次第に宴人が増え、最後は8人に。
清水農園の野菜タップリのアンチョビマリネ(ズッキーニが甘〜い)、シーフードカレー(蟹、エビ、イカ、貝がたんまり)とチキンカレー(ニンニクとクミンの香りが胃を刺激するごはんがこれまたたまりません!)、コーヒーグラニテとミルクジェラートのデザート!

はぁ、吐息。

いろんな職種の人が集まると、1つの事柄についていろんな視点からのコメントが出てきて新鮮。

猫たちと触れ合いながら、夜中までおしゃべり。時間も忘れてしまう。
もうすぐ日付が変わる頃解散、テコテコ歩いて帰る。
18:43 たべたり、のんだり comments(0)
天秤は、食欲に傾く
いやぁ〜バタバタの2日間でした。遊びに(苦笑)。

火曜日は先日の曝書の打ち上げ。パートの方々と一緒に、女だらけの12人。カッキリ2時間居酒屋で飲み、キッチリ2時間カラオケ。年齢層の関係から裕次郎やら黛ジュンなんかの歌が続く。
カラオケは苦手。仲間同士で、ガーガー大声出して、鬱憤ばらしみたいのならまだしも、やたらお互いの歌を聴き合うような、手拍子付きはどうも…。でも、せっかくの会をつまらなくしてしまうのは不本意なので、今回は「向けられたマイクには答える」姿勢で、あとは盛り上げ部隊に徹する。
しかし、実はこの夜、私の心はここに在らず、だった。
なぜなら、月曜日の夜中に、華麗なるメンバーの「カレーパーティー」のお誘いを受け、それが近々水曜の話だったからだ。
なんの予定もなけりゃ、ホイホイ飛んで行くが、その日(昨日)は、原田郁子ちゃんのライブの日だったのだ。
新アルバムをまだ聴いてなくて、その状態で行く不安はありつつ、でも楽しみなことに変わりはない。
あ〜あ〜あ〜、悩むぅ。
でも、最後には食欲に負けた。菓子職人Sさんの作るカレー、やっぱり食べたい!
そうと決まったら、チケットの譲り先探しを即スタート。
しかし、職場には原田郁子ちゃんを知ってる人すらいなかった。こうなれば、人脈豊富ないつも行くカフェごはん屋SSさんだ!いつも穏やかなマスターは、こんな急なお願いにも、日付が変わる12時までに見つかったら連絡するね、と約束してくれた。

だから、カラオケでスピッツを歌いながらも、お尻ポッケに入った携帯がブルるのを待っていたのである。

しかし、結局カラオケも終わり、電話が来ないまま地元に帰り着いた12時まで連絡はなかった。バスを待ちながら、代金云々より、空席を出すことが申し訳ないな〜とっていたところ、突然ブルっ!
おおっ!SSさん!

なんとまぁ、真夜中に見つかりましたよ、チケット譲り先が。しかも翌日、私の職場まで取りに来てくれるなんて!

というわけで、トントンうまいこと話は進み、華麗なるパーティーに心おきなく参加できることにかり、続きはまた後で。
08:11 日々、雑感 comments(0)
トラヴェシア
こころうた
こころうた
アン・サリー



ここのところ、アン・サリーの「トラヴェシア」を聴くことが多い。これほど、歌詞の意味が全然わからないのに切々と胸に迫る唄もない。


もとはブラジルのギターによるシンガーソングライター、ミルトン・ナシメントという人のオリジナル曲だそうで、世界各国でカバーされている名曲。日本では小野リサやchie、昔はムーンライダースやEPOなどが唄っている。
原曲のポルトガル語の歌詞は、軍事政権下で自由を失った者の悲しみの唄とも、失恋の唄とも云われている。EPOバージョンの日本語詞は秋元カオルという人が書いたものだそうで、自然の中で育まれる2人の愛の唄になっているが、英語圏の歌詞はもっと未来の希望を信じたスケールの大きな唄になっている。「橋」という例えを用いて、人生の苦難や喜び、それらはすべて「繋がり」であり、そんな「繋がり」を求めて生きて行けばいいじゃないか、きっと見つかるさ、という唄になっている。
秋葉原の事件などがあった今の日本に必要なのは、こういう心の持ちようなのだと思う。人との「繋がり」を求めて、苦しんだ結果、ああいう形の犯行をしたのも事実だ。今の日本人は「繋がり切望症候群」である。でも、誰しも孤独であって、本当に「繋がる」なんて幻想だといえるだろう。でも、そんな孤独を支え、癒してくれるのは今まで生きて来た中で出会った悲喜こもごもの「繋がり」だったり「橋」なんだと思う。「繋がり」は量でも質でもなく、その記憶の力をどう引っ張り出せるか。こんなことがあったから、今がある、あんな辛いことがあったから、このくらいなんでもない、そんな風に自分の良かった人生も辛い人生も肯定することが大事なのだ。それが出来ない人は、人との「繋がり」もうまく構築できないかもしれない。
かくいう、私だって自分の過去や現在を愛せているか?と云われれば、そうではなくって、いつもぐじぐじ文句ばっかり云っている。でも、私は未来には希望を持っている。夢物語かもしれないし、人から見たら「ちっこい夢」かもしれないけれど、未来自体に大きな希望を持っている。何か起きるかもしれないって。そこには、甘ちゃんだけれど「良くない、悪」な展望はなく、常に前向きなものだ。未来に繋がる橋を信じてみたい。
こんな私が「常軌を逸した人」の「心の機微触れるような」ことはできないでしょう。資格もありません。でも、できれば、この唄のように川の向こう側で手を伸ばしている人を見かけたら、大声で叫ぶくらいしていきたいと思う。

以下、W&R Jazzと読書の日々から、引用させて頂きました。
「トラヴェシア」(Bridge)


リアルな何かを探し求めて

僕は千もの橋を渡ってきた

鉄線を蜘蛛の巣みたいに

張ってある吊り橋もあった

小さな板切れの橋もあった

固い石で出来た橋もあった

僕はどこでもヨソモノで

いつでも一人っきりだった


明日につながる橋もある

過去につながる橋もある

続いて欲しくないような

哀しみで出来た橋もある

頭の上の空には虹という

輝く色で出来た橋もある

僕は祈る、どこかに

愛で出来た橋がある事を


川の向こう岸に誰かいる

遠く離れたところだけれど

昔の僕のように何かを求め

その人は手を伸ばしている

僕は大声で彼に呼びかける

「その橋はきっとあるよ

 僕は見つけるつもりさ

 そうさ、必ず見つかる

 死ぬまで探し続ければね」


人々をつなぐ橋さえあれば

何も言葉にしなくても良い

日を浴びて走っていけば

橋の上で出会えるのだから

頭の上の空には、虹という

輝く色で出来た橋が架かる

それなら、どこかにきっと

愛で出来た橋もあるはずさ


ミルトン・ナシメントのオリジナル演奏(you tube)

各国語の歌詞の違いがよくわかるJ.Gatsbyさんのブログ
18:23 音楽はともだち comments(3)
曲がり角
今年はお肌劣悪年だな。
正月早々の全身かゆかゆ、これはまだ完治していない。理由もタイミングも分からないから、避けようもない。友だちも胸元とか腕とかをふと掻いて、人工蕁麻疹がばっちりできているから、そういう年代なのかもしれない。
今月は顔もなんだかぶつぶつしていて、よろしくない。
昨晩、お風呂上がりに髪の毛を乾かしながら、ふと口をついて出て来たうた。

「曲がり角」(童謡の名曲「たきび」のメロディでどうぞ)
♪お肌の お肌の
 曲がり角
 
 毛穴だ 小じわだ
 ほうれい線

 叩こうか 伸ばそうか
 今更やっても
 もう遅い♪

11:43 からだのことだから comments(2)
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