毎日、たんたん。
| PR | EN | CO | TR | CA | AR | LI | RE | OT |
ジタバタしている私が愚かなのか?
 2日、面会に行かないと催促の電話が父から掛かってくる。仕事から帰宅して、小雨の降る中お中元で頂いたメロンをむいて、洗濯物を2重のビニール袋に詰め込んで自転車を飛ばす。

やたら携帯を欲しがっている父、この間「これにする!」と決断宣言したはずの新しい携帯の機種、やっぱりこれじゃないのがいいと言い出した。絶対こうなると思って、何も動いていなくてよかった。元々病棟内での携帯は厳禁であり、階下のロビーでないと使えないのに、1人でエレベーターでの移動を禁止されているんだから、今持ったってしょうがない。きっと、携帯を持てば「何か変わって楽しくなるかもしれない」という妄想だけで欲しがっているのは明白。
「とにかく退院して、自分の目と手で確認して選んで。絶対今買って来ても『思っていたのと違った。やっぱり見てからにすれば良かった』って云うに違いない。事実、wi-fiルーターだって、今お父さん使ってないのに私が料金払っているし、解約金だって掛かるんだから迷惑!」と怒った。こういう流れを母と何度も繰り返し「お母さんはいつも何かをやる前から反対ばかりして、父さんのやる気持ちや失わせるんだ」って云うんだろう。今なら、母を全面的に応援するだろう。
お金が絡まない問題なら、何をやって勝手に辞めたっていい。でも、大抵がお金がかかることをやってみちゃあ、割合すぐ飽きちゃって辞めるのがこの人の性格なんだ。

その後、年始に介護認定の申請の時にも大いにお世話になった、地域相談センターの社会福祉士さんにケアマネージャーの選定について相談したことを父に伝えるが、まったく理解できないっていうか、しようともしない。ただとにかく目の前の人からの覚えがよいように、イケメン理学療法士さんにお願いしたいと言い出すが、彼は理学療法士であって、ケアマネじゃない。それすら分かっていない。
リハビリの担当の方々は毎日父の面倒を見てくれているようだけれど、正直云って医療面では私はこのK病院を信頼していない。入院以降、医師の診察はほとんどなく、以前の病気に対する理解が全くないようだ。他科受診の件だって、転院時に社会福祉士と看護士長に伝えてあったはずなのに「聞いてなかった。きちんと知らせてくれ」と云われたり、父の気持ちで「薬代をこの病院に落とした方がいいだろう」と云ってH病院からもらって来た処方箋を提出したら、「この病院では持っていない薬があるので、元の病院の近くで処方してもらってから届けて下さい(実際既に1ヶ月入院している患者であと2ヶ月はいる予定なのだから、予備の薬くらい院内薬局で用意しておくべきではないか?他科受診しなければ、勝手に処方を打ち切るつもりだったのか?)」だの、情報の共有、公開が足りないように感じる。病状の如何ではなく、老人Aとしか見ていない感じ。そうそう、病室に患者のネームプレートがないのは個人情報の保護の観念なのかもしれないけれど、看護士もネームプレートを付けていない。だから、どの人が担当なのかもわからない。H病院は医師、看護士、助手の写真と名前が全員分廊下に張り出されていたというのに。

そんな訳で、退院後は違うところのお世話になりたいと私は思っている。だから今から動いているのに、当の本人はまったく感知せず。どちらかと云えば「勝手にやってしまった」とでも思っているようだ。そして、兄に至っても「意外にその時になれば何とかなるもんだ。福祉制度なんてそういうもの」みたいな感じでいるけど、そうは行かないことは伯母を見ていて私は実体験しているのだ。悪い病院や福祉施設の言いなりになっていると、必要のない検査や何やらで不必要にお金を請求されるばかりか、病状を悪化させる自体になるのだ。お金が溢れんばかりにあるんだったら、医療法人の言いなりでもいいと思う。お金さえ払っていれば、とりあえず「夢のような老後生活」を送らせてくれるかもしれない。だがしかし、我が家のように自営業者で微々たる年金(ホントに生活費にも事欠く額だ)生活者と、非正規労働で低賃金、ボーナスなし、いつ切られるかわからない身の家族にはそんな老後は夢見る事すら許されない状況だ。だから、結局自宅で介護するしかないのだから、いかに切り詰め、かつ私がそれでもとりあえず安定した収入の得られる今の仕事を続けられるように、父がマイペースなりに暮らせるように、払いが悪い故に手を抜きそうな業者のケツをひっぱたいたり、ヘラヘラとご機嫌を取ったりしながらでも最適なプランを作ってもらうしかないのだ。

いろんなことが想い通りにならなくて不機嫌になった父を置いて、小雨の中帰宅する。
今日こそキチンと晩ごはんを作ろうと思っていたけれど、とてもそんな気力がなくなってしまって、途中のスーパーで買って来たもので済ます。

仕事も今週、来週が勝負の夏シーズン。なんかいろんなことが切羽詰まってきて、へし折れそうだ。家の中も、外もぐっちゃぐちゃ。ここは眠るだけの場所。
あ、犬の散歩とエサはちゃんとやってますよ。云う事はきかないけど、とりあえずマックだけは私の味方。だよね?マック?
22:05 介護のあれこれ comments(2)
頑張る79歳の細胞
 うたた寝から目覚めた夜中3時半。
ちょっと記録だけ書いておく。

今日は父の手術した病院(H病院)での定期検診だった。
顔色は白っぽいし、疲れやすいって云うから、絶対貧血が出るだろうと思っていた。何せ、今の病院(K病院)はリハビリメインなのは分かるけど、入院の時に診断しただけでここ1ヶ月血液検査はもちろんやっていないし、血圧だって理学療法士がリハビリの時に計るだけで、とにかく主治医の診断なんて全然やってくれないから正直心配だった。貧血が出たら、また輸血かなぁ、そしたら下手すりゃ輸血後の状態を見る為に半日はこちらの病院にいてくれ、とかなっちゃうのかなぁといろいろ心配していた。元々今の病院は他の病院の受診をすることを快く思っていないのに、そんな状況になったら問題だよぁとか。

救急病院であるH病院は今日も大混雑。しかし、検査の札に張ってある『迅速』というポストイットのおかげか(なぜ張ってあるかは不明)、全ての検査はサクサク進む。が、あの「迷言センセー」の診察のところでストップ。3分診療でないことはとても嬉しいけれど、予約の順序がどんどんずれている模様。結局予約時間より1時間遅れて呼ばれた。

「うーん、いいねぇ。全然、問題ないよ。血小板も15万あるし(一時は5000を切っていた)、貧血も問題ない。転院の時とほとんど変わってない」

ヒャー!本当ですか!

「結局、なんだったんだろうなぁ…」

え?夢見てたみたいな言い方。先生、また、ヘンな発言しないでよ…(笑)。こっちが訊きたい。

一時はまーったく機能しなくて人工透析を1ヶ月以上続けた腎臓もきちんと動き出しており、尿にも問題なし。こんな回復ってするんだね、びっくり。

問題は体重が増えていない事くらい。
結局食べた分をリハビリでほとんど消費してしまっているのか、筋肉にまだなっていないのか、体重は転院時と変わっていない。それはこれからの課題だな。

ご機嫌の父のリクエストで、帰り道鰻のひつまぶしを食べてK病院に戻った。
よかったよかった。




03:31 介護のあれこれ comments(0)
イケメンは損?
 昨日、父の担当理学療法士さんと初めて会って、いろんな相談に乗って頂いた。
この病院には患者の数と同じくらいの人数の理学療法、作業療法、言語聴覚士がいるんだけれど、父の担当の方はその中でもトップクラスにイケメンさんだった。どういうタイプかって云うと、コウケンテツっぽい人。それもコウケンテツよりも、すっきり整っている感じ。そうだなぁ、マヨネーズ抜きのお好み焼きって感じ。(自分がお好みやたこ焼きのマヨ苦手なためですけど)マヨ抜きコウケンテツってどんなんや?
で、しかも若いし「大丈夫かぁ…」と正直不安に思ってしまったが、話してみたら退院後のプランも計画してくれていて、父の自己中心的な話もきちんと聞いて理解してくれていて、ちょっと驚き。
イケメンはイケメンで、ハードルが高いっていうか勝手なフィルターをかけられて大変だわね、とフィルター懸けている自分が云うのもなんですけど、同情してしまった。




23:35 介護のあれこれ comments(0)
皇太子様から永さんへ
父が病院内理容で髪を切ってもらった。今回は、本人たっての希望の髪型。

以前は母が切っていて、その頃から所謂七三分け、皇太子様みたいな髪型だったのだけれど、今回のリクエストは「永さんみたいなの」。矢沢永吉の永じゃないですよ。永六輔さんの永さん。兄と「角刈りでしょ?」と云うと「角刈りとはちょっと違うんだ」と云う。そうかねぇ?
出来上がった髪型は、永さんと云えば永さん。でも、ま、総じてこういうのは角刈りってアタマになってました。

貧血気味だし、陽に当たらず半年近く過ごしてるから、白髪+白肌でやたら白っぽい人の出来上がり。
07:36 介護のあれこれ comments(0)
父転院、私自堕落生活
 父の転院、無事終了。
前の病院の医療相談員さんに「転院をしなければいけないような場合、あまり慌ただしくならないように事前に話してください」と兄が依頼していたらしいが、結局のところドタバタの引っ越し。主治医の気持ちと理学療法士の判断の相違に、回復期リハビリテーション病棟への転院が可能な期間(外科的手術後の安静による廃用症候群を有していた場合、術後2ヶ月以内)が迫って来たためだからしようがないとも云えるけれど、兄も私も多忙な時期で正直準備不足。
転院先との打ち合わせ、事前見学をしたのは兄だけ、転院当日は私だけという状況で、調べバカの私は新しく入る病院の予備知識が足りなくて(HPがあるんだけれど、ものすごくショボクて、あちこちが工事中というか工事途中でやめちゃった感じ)不安なまま当日を迎える。
今度の病院は病衣のレンタルがなかったり、箸やスプーンなどを持参など荷物がとても多く、ヨタヨタ1kmくらい先のバス停まで歩き、そこからバス。やっと病院についてスタッフステーションに声を掛けるも、会計からまだ清算の準備が整ってないから病室で待てとの指示。前夜、最後の荷物の引き上げるため来た時、父が輸血をしていてビックリ。どうして転院前日にそんなことしてるんだ?と思って、看護士長に確認すると「食事での栄養が取り切れていないらしく、貧血気味なので、転院先ではなかなか輸血ができないと行けないので、事前に元気になってから転院しようという、リハビリ医と主治医の判断です」ということだったけれど、大丈夫なんだろうか?と不安だった。当日、父はとりあえず血色もよく、リハビリのスタッフさんや看護士さんにお礼を云っていた。ちょっぴり淋しそう。そりゃそうだろう、救命処置4回、大地震と停電も一緒に乗り切った4ヶ月だから。そんな父に急いで着替えをさせて、最後の荷物のチェックを済ます。
やっと会計から連絡があり、院内薬局に行ったところ薬が見つからず待つ事15分、それから会計でドドーンと支払い。急いで病室に戻ったら、もう既にストレッチャータクシーの運転手さんが父をストレッチャーに乗せて毛布で包んで待っていてくれた。
最後のご挨拶もそこそこに(迷言センセーには会えず)病院を出る。父、4ヶ月ぶりのシャバでござんす。街道沿いのお店を見ながら「あー、退院したら天ぷら食べたいなー」とか呟く父。

住宅街の中にある病院に到着。今度は住まいのある自治体の病院。とは言え、自宅からは自転車以外の足がなく、最寄り駅から徒歩で18分くらい。ちょっと不便な、でも閑静な場所。
表は割合新しいけれど、建物内はだいぶん古さを感じる。と、入院する病棟から看護士さんと介護士さんが登場。大きな体格の介護士さんは父を軽く抱き上げて、病院のストレッチャーに移動。前の病院では見なかったなぁ、こんな方法。

父の言葉で云えば、「前の病院は若い看護士さんが多くて賑やかだったけど、今回は落ち着いてる」状態の看護士さんが多い。私からすれば、おっかさんぽくって安心だけどな。担当医はホニャホニャお話しになる先生。「いろいろな病気をしたんだね、うん。最初の病気、うん、これはね、たいへんな病気。結構亡くなっちゃう人多いのね、ね。それから、またね、かかった病気、これまた大変な病気。その旅、手術。うん、ね、これはたいへん。生存率はね、こんなもんよ。(親指と人差し指で挟むような形。だいぶちっちゃいね)だから、ね、生きられたのはそう、運がいいの。だから、この病院でリハビリをしてね、元気になりましょう」よろしくお願いします。
ご飯はおいしいらしく、ぺろっと食べた。よかった。嚥下の状況も確認してくれてるみたいだし、介護スタッフが(若い男性が多いのは力仕事が多いからだろう)いっぱい居て、目が行き届いているように思う。

今日もハーゲンダッツのバニラをぺろっと食べたし、だいぶ元気になってきたように思う。ただ、土日のせいかまだリハビリが全然なくて「はったりだ!口ばっかりだ!」と憤っていたけれど、明日以降専任の人が決まったら、どうなるやら?(笑)

それに対し、私の生活はだらだらにだらけている。転院を期にもとに戻そうと思っていたんだけれど、日々の疲れは取れないし、次の行動への切り替えがとろくって1日があっという間に終わってしまう。あー、雨の前に洗濯しなきゃ、あー、そろそろ病院行かなきゃ、あー、雨が降ってないからマックの散歩!あー、伯母の施設にも行かなきゃならないけどもう疲れた。あー、替えのパジャマが足りない!と云う感じ。
で、最近は食生活も堕落。朝ご飯だけはとりあえず作っているけれど、夕飯は適当。お弁当やらレトルトやらのことも増えて来た。こんなんじゃダメだと思うんだけれどね、無理。
とにかく睡眠だけは最優先している。だって、寝ている時だけは自分の時間って感じでしかも疲れも取れるし、今一番嬉しい時間。夢を見るもの楽しいし。お風呂も、夕ごはんの片付けも放っておいても、寝る事を重視。お布団が今は恋人でござんす。というわけで、今宵もおやすみなさい。(よくやっちゃうのは、携帯電話でツイッターを見たまま、寝ちゃう事)
22:03 介護のあれこれ comments(0)
迷言センセー
4回も救命手術をして下さった主治医にこんなコトを云うのは失礼かもしれないが、コトバの選び方には本当に気を付けて頂きたい。そう云いたくなるくらい、時折患者や家族を驚かせる発言をしてくれる迷言センセーだ。半年のお付き合いで人柄も見えてるので悪意がある訳ではなく、「できれば手術結果で全てを語りたい」のだろうな、とわかってるから許せるけど、最初はビックリしたもんだ。

「昔、よく『ポックリ病』て云って、原因も分からず死んじゃう病気って云われてたのが、今お父さんが罹った病気ね」

→はぁ。じゃ、じゃあ早く手術して下さいな!(輸血と医師が揃ってなかったから始められなかったんだけどね)

「手、足動かして。うん、大丈夫。腐らなかったね」

→腐るぅ!(血流が数時間止まってたけど、無事だったと云いたいらしい)

「今はとにかく起きたコトに対処することしか出来ない。原発と同じね」

→イヤさ、確かにタイムリーな比喩だけど、いかがなものか?

(二度目の原因不明の吻合部破断に)「ボクらも正直困ってるところで」

→家族も相当困って参ってます。真夜中1時のICUにて、双方ヘロヘロ。

最近の迷言

「平均寿命から見て、あと4・5年は生きられると思うんだよ」

→イヤに具体的な年数。意外に近い話だし。(その後、マズッタと思ったのか、平均から更にその人の寿命を導くらしい計算式を説明しようとしたが、かなりグダグダで理解不能)

「でも、今の血液状態なら突然死んじゃう、みたいなことはないと思うよ」

→うちらも切に願ってます。


文字にすると「訴えてやる!」と云いたくなるくらいだけど、「ハァ…?」という表情の家族に何とか理解させようと必死なのが見て取れるんで、構わないんだけどね〜。
07:46 介護のあれこれ comments(0)
云うべきことは云う
昨日、父の病院から呼び出し。

生活不活発症候群(廃用症候群)のリハビリに、かなり時間が掛かりそうだから転院を、と云う話だった。元々救急車で運び込まれた救急病院だから、この流れは予想していたし、当然だと思う。
こういう時「治ってないのに追い出された」「意志に反して、勝手に決められた」などと云う不満がよく出るようだが、今回うちの場合はそういう感覚は全くなく、逆によく考えてくれてるなぁと感謝していれ。
リハビリ担当者と担当看護師が現状から見込みを出し、主治医に報告。そこからソーシャルワーカーに話が回り、自宅近くのリハビリ病院をいくつか当たり良さそうな病院を決め、患者本人に提案があってから、家族に説明。転院先の希望もある程度聞いてくれた。それでOKならばワーカーが転院手続きに入り、2週間程度で転院、となるらしい。何の不満もない。
主治医に至っては昨日も別の患者さんの急変で、手術着にキャップにマスク姿での説明、と云うてんてこ舞いの多忙の中、「1ヶ月で回復しそうだったらこのままウチでと思っていたけど、1ヶ月じゃ到底難しいとリハビリ担当からの報告なんで、とりあえず転院して、リハビリに専念して。でも、定期的な検診はもちろんウチに1ヶ月に一回程度来てもらって」と、今後のケアも考えてくれていた。

術後翌日からリハビリのためにベッドサイドに来て、あの地震の瞬間に一緒にいてくれたリハビリ担当のAさん、最初は怖くて話し掛けるのもドキドキだったけど最近は「ここまで来れたのもワタシのおかげよ!」と笑いながら云ってくれる担当看護師のKさん、それ以外にも毎食に笑顔で来てくれるSさん、そして錯乱状態の時に見て下さっていたICUのスタッフさん。
いろんな人のお世話になったなぁ。
これも、とりあえず本人も家族も「こうして欲しい」ということをキチンと云ってきたからかな?と思う。何も云わなきゃわからないし、家族も任せっ放しではないとアピールする義務がある。

後は本人が本気でリハビリをするかどうか、と、いいスタッフさんがいる病院であるコトを祈るばかり。
18:45 介護のあれこれ comments(0)
杞憂
病院から帰宅。

病院からの説明は「退院せぇ」なんて云う話じゃなくて、リハビリテーション専門の理学療法士からのリハビリ計画の説明だった。透析がなければ午前午後と日に2回リハビリをする、まずは1人で座った体制を保てること、次は立てるように、最後には歩けるように頑張りましょうと。
言語聴覚士さんも咀嚼、嚥下の状況を確認、栄養士さんが相談にきてくれて、すり下ろしの食べ物からサイコロ状のおかずに変えてくれて、一気に食欲が出てきたようだ。こっそり差し入れたイチゴもチャッカリ食べてたし。
血小板も通常レベルまで戻ってきた。
すげーな、79歳!

18:58 介護のあれこれ comments(0)
我が家のレベル7
昨晩、5度目の緊急手術。
医師も前例なく困惑。「原発と同じく新たに起きる事態に対処して行くしか、今できる術がない。あとは病変が収まるのを待つのみ。ただ患者本人の体力も精神力も限界に来ている」とのこと。

兄も私も仕事に影響が出てきており、我が家もレベル7の緊急事態だ。
10:38 介護のあれこれ comments(0)
<< 2/2PAGES